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ビッカース バイカウント () は、1953年に就航したイギリスの中距離ターボプロップ旅客機である。第二次世界大戦後開発の第1世代の旅客機であり、商業用としては世界初のターボプロップ輸送機であった。1963年までに445機が生産された。 == 概要 == 第二次世界大戦後のイギリスの航空機産業の見通しに関する、ブラバゾン委員会の提言をうけて開発された機体の1つである。24名ほどの旅客を乗せて1,750マイル (2,816 km) までの路線を200 mile/h (322 km/h) の速度で運用されるターボプロップ旅客機として計画された。 1940年代としては中型と言える機体クラスの割には多発な4発機となったが、これはターボプロップエンジン(を含むジェットエンジン)の量産実用化初期の時代であり、双発ではまだ十分な出力を得られなかったためである。1948年に初飛行したモデル630は英国欧州航空() の要望で乗客数は32名に増やされ速度は275 mph (443 km/h) であったが、航空会社の運用コストの削減の要求はさらに乗客数の増加と速度の向上を要求した。 座席数を53に増やし、速度を308 mph (496 km/h) に増加したモデル700は1950年8月28日に初飛行した。これが最初の生産モデルとなり、1953年4月からBEAで世界初のターボプロップ機の運用が開始された。戦後型に相応しく当初から与圧構造を採用、ターボプロップ方式による高速に加え、低振動で静粛性にも優れ、従来のレシプロ旅客機から乗り心地を格段に改善したことで、乗客の人気を博した。 さらに全長を延ばし、71座席にしたのがモデル800である。全日空をはじめとする諸外国の航空会社でも採用され、BEAでのバイカウントの運用は1980年代まで続いた。 日本国内では、モデル700(744)、次いでモデル800(828)の計11機が何れも全日空で活躍した。744はビッカース社からの一年程度のリースである。就航当時、レシプロ機より高く飛ぶことを利用し、バイカウント航行中に客室乗務員が「ただいま当機の下に見えてきましたのが、先に出発した日航機(DC-4)でございます」とアナウンスしていた。当時のターボプロップ機の快適性や性能を象徴する出来事として知られている。 ブラバゾン委員会で企画された大小に渡るレシプロ、ターボプロップ、ジェットの各種輸送機は、その意図に反し、各種の欠陥を露呈するか、市場の需要を見誤った企画であったりしたため、多くが商業的失敗に終わっているが、バイカウントは堅実な性能と市場ニーズに合致したクラス設定によって販路を広げ、シリーズ合計400機以上を生産する成功作となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビッカース バイカウント」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Vickers Viscount 」があります。 スポンサード リンク
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